(怒りについて)ふと気になったこと

最近、ネットでちょっとしたことで炎上する事例をよく見るようになったと思います。

もちろん、最初に投稿された情報たちは問題提起としての意義があると思うのですが
果たして「他人」がそんなに目くじら立てるほどのことだろうか?と思う炎上案件が増えた気がしてなりません。

例えば被災地で取材していたアナウンサーが食事について投稿したところ不適切だと炎上した案件などは、
投稿のタイミングや詳細については人によって不快感を感じる可能性があるにしても
それを投稿者に噛み付く必要があるのだろうか?
投稿者の身近な人が、気をつけるようにアドバイスするだけでいいのではないのか?
懲戒処分を課せられるようになってしまうほどの問題なのだろうか?
それを理解できない自分は共感力が低いのか???
と疑問が湧いてきます。

また、某カップラーメンのCMで最近起きた降板騒ぎについても
件の女優さんの肩を持つ気もありませんが、他人が騒ぐ必要があるのだろうか?
ネットに発信しなくては、と突き動かすものはなんだろう?と疑問を感じます。

こうした事例を選択理論のフレームで考えると
「効果的に欲求充足できていない人が増えている」ということになるのですが、
ちょうどそれに関連した言葉を見つけました。

“日本アンガーマネージメント協会の安藤俊介代表理事によると、
「クレームを申し出た人は、普段から怒りを抱えていて、攻撃の対象を探している人です。普段の怒りの矛先として日清のCMが格好の的になったと考えられます。正義、倫理といった大義名分は怒りを乗せる絶好の台車です。今回のCMの登場人物に怒りをぶつけるだけでは嫉妬に見えます。でも、怒りに正義、倫理という外箱をつけることで怒りをぶつけることが正当化されると考えた人が多かったのが今回の炎上の背景と考えられます」”

引用元:企業は、いつから非難と戦う時代になったのか? — 日清のCM問題から見えてくること

確かに世界に拡散するテロも「怒り」が背景にあり、
過酷な状況下で自分にはコントロールできないことが多く、
そこに自分のエネルギーや思考、時間をつぎ込んでスパイラルにはまっている人が増えているのではないかと思います。

さて、アランの幸福論にある「人は幸福になる義務がある」という言葉は
色々な方が引用されていて、僕は故・柿谷寿美江先生からこの言葉を教えていただいたのですが
http://daidarabotch.hamazo.tv/e2533771.html
幸福になること、自分で自分の欲求充足に責任を持ち、それを満たしていくことは、
単なる権利や責任のレベルを超えて一人一人が真剣に考えなくてはいけないことだと言えるのではないでしょうか。

今週末の日曜は選択理論心理学会浜松支部のリアリティセラピー研究会があるので、その辺りを参加者の皆さんと話してみたいと思います。


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