愛は他人の可能性の追求に関心を持つ。ならばその反対は?

愛の反対は恐れ。それが多くのものを阻害している
そんな事を最近特に感じます。

愛っていっても何か宗教のような事じゃなく
また、こそばゆく感じる類いのものでもないですよ。念のため。

青木先生の会社のトレーナーでマイミクの
「マサさん」という方がいるんですが
先日ご紹介した青木格言と同時に
マサさんの書いたものを読んでいて気づいた事があったので
書き留めておこうと思います。

かの有名なP・F・ドラッカーの言葉が引用されていたのですが
「リーダーシップとは地位や特権ではなく、責任を見取ることである。・・・自分が最終的に責任を負うべきことを知っているからこそ、部下の力を恐れたりしない。」


とあります。
さらに

外的コントロールを使いたくなるのは、この「恐れ」にあるように思われてなりません。自分を否定されることの恐れ、自分が一番でありたいための恐れなのかもしれません。
部下の力を恐れてしまうマネージャーが多いのかもしれません。


う〜ん。そうなんだよなぁ。
外的コントロール(他人を変えようとする行為)を使う人は
他者の可能性を探求する事で達成出来るものよりも
自分が抜かれないようにという事を無意識のうちに感じている
つまり、愛の反対である恐れがあるのだという事が理解出来ます。

ちなみに、愛の定義はいろいろありますが
「他人をそのままですばらしい存在だと認めること」
もそのひとつ。

他者肯定の承認にあふれた人たちの集団は
喧噪の中でもそこだけ雰囲気が違ったりします。
これが出来る人は
原則中心の考え方が出来る=自分に責任を持つ生き方
という事になるのですが、ぶっちゃけ
ここまで自分に責任を持つ生き方をする人は少数です。

でも、そういう人がいない訳じゃないですよね。
松下幸之助翁やカーネギー、フォードといった
自分以上の人を認めて、側に置く事の出来る人
さらには育てて来た人は沢山いる訳ですから。

今日はちょうど加藤諦三先生の本から
話し合いをしていたので
よけいにそんな事に気づいたのかもしれません。

認めない上司側にも、認められない部下側にも
同時に「自分に責任を持つ」生き方があれば
様々な問題を回避出来るはず。
このテーマはまた別の時に取り上げてみたいと思います。



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